一粒社ヴォーリズ建築事務所

W.M.VORIES & CO., ARCHITECTS ICHIRYUSHA

ヴォーリズとは − W.M.ヴォーリズ

ヴォーリズ 神の執事として

イメージ:ウイリアム・メレル・ヴォーリズ

William Merrell Vories  
ウイリアム・メレル・ヴォーリズ
一柳米来留 ( ひとつやなぎめれる )
[ 1880〜1964 ]

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イメージ:ピアノを弾くヴォーリズ

ヴォーリズは音楽を愛し多くの作詞作曲を行った。
賛美歌236番や同志社カレッジソングなどは今も歌い継がれている。

イメージ:晩年のヴォーリズ夫妻

晩年のヴォーリズ夫妻

1905年、明治38年 一人の青年が遠く海を渡り、日本の地に降り立ちました。

W.M.ヴォーリズ、その時24歳。
彼はアメリカに生まれ、建築家を志す青年でした。
しかし外国伝道を行っていたキリスト教宣教師、Mrs.ハワード・テイラーの講演に感銘を受けた彼は、長年思い詰めていた建築家となる夢を放棄してまで、外国伝道にその身を捧げる決意をします。

運命に導かれ日本へと降り立ったヴォーリズは、どんな困難に見舞われようともこの地に留まり続けました。
太平洋戦争当時、開戦の気配が濃くなり多くの外国人が日本を離れる中でも、自らの意志で日本への帰化を選択。
一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名し、生涯を閉じるまでこの地に留まることを選びます。

最初、誰一人として知り合いのいなかったこの国で、彼は多くの協力者を得て、多岐に渡る活動を行いました。

建材やオルガンの輸入、メンソレータム(現メンターム)の販売などを行った「近江セールズ」の創立。
私立としては日本初の結核療養所であり、疎外されていた結核患者を救い続けた「近江療養院」の開設。
小さな保育施設から始まり、幼稚園から高等学校にまで及ぶ教育活動。

ほかにも図書館の運営、出版など多くの文化事業を行い、建築においては住宅から学校、教会、デパートメントやホテル、オフィスまで幅広く手がけ、その数は戦前だけで1500件を数えました。

これら事業のすべては収益を目的としたものではなく、「 様々な職業を通じて、人間生活の基準となるような、キリスト的生活を徹底的に実践すること 」を目指した、彼の伝道そのものでした。

建築家ヴォーリズは彼の一面に過ぎません。
多岐に渡った彼の活動は死後もその灯を絶やすことなく、来日100年を迎えた現在も、ヴォーリズ記念病院、株式会社近江兄弟社、近江兄弟社学園など、近江兄弟社グループとしてさらに幅を広げ、いまだ発展を続けています。

建築活動は彼の伝道を支える経済基盤として始まりましたが、彼独特のクリスチャン・マインドによって率いられた建築事務所が生み出した建築物は、温かい人柄が香り、その魅力は長い年月を経た今も多くの人の心を捉えて離しません。

その作風は、人を驚かせるかのような建築家の自己主張をよしとせず、建築依頼者の求めに相応しい様式を選択し、その応用と近代的な改善を施すことに努め、住み心地の良い、健康を護るに良い、能率的建物を目指しました。

私ども一粒社ヴォーリズ建築事務所は、大阪・東京・福岡に事務所を置き、全所員がヴォーリズの思いを受け継ぎ、彼がつくり続けた温かみのある空間を創造するべく、今日も建築活動を行っております。

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近江兄弟社グループ

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